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ピン芸人であらせられる我

  • ZAZY
  • 10月14日
  • 読了時間: 2分
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我々ピン芸人は長年、「R1は夢がある?ない?」だの「ピン芸人はコミュ障が多い」だの「ピン芸人を集めたライブは集客ができない」だの、本当にくだらないことに頭を抱えてきた。

それは、圧倒的多数のコンビ芸人達との比較によって生み出されるもので、それは本当に本当につまらない、くだらないもの。


現実、日本のお笑い界は、コンビ芸人が全てと言っていいくらいマジョリティで、ライブもお笑い番組も基本コンビ芸人ベースで作られている。これは、やはり2人いたほうがネタ的にも面白い箇所の輪郭をはっきりしやすいし、バラエティ的にも片方が片方の説明書的な役割を担うことで人間的魅力が伝わりやすく、番組や企画が成立しやすいだからだろう。圧倒的にピンより笑いを作りやすい。


でも、ただそれだけ。コンビには、致命的短所があり、2人でやる場合、どうしても自分が表現したいものが相手によって制約される。2人で作っていると相手との感覚の中庸のネタになるし、100%ネタを作ってるコンビの人間でも相手のキャラクターに制限される。

その点、1人でやってる人間は、何ひとつ制約されることなく自分を表現できる。外ではなく、より内に向くことができる。自分の『面白い』と向き合える。それを薄っぺらい罵倒の仕方で、コミュ障!みたいないじりされるのだろう。



夢があろうがなかろうが、会話できようができまいが、集客できようができまいが、貴様達が2人して作戦を練って協力してしか進めないダンジョンを、こちとら1人で挑んでいるのだ。進めているゲームの格が違うのだ。

夢がない?評価しにくい?笑わせるな。そんなものあろうがなかろうが、表現者として圧倒的に1人のほうが自由で優位なのだ。夢とか人気とか世間の評価とかくだらないものに左右されて二番煎じのものを発表するくらいなら、1人で独創性溢るるものを創ったほうが、胸を張って生きていられる。それこそが、芸人として、表現者としての夢じゃないのか。


2人揃ってしか作品を生み出せない可哀想なコンビ芸人たちよ、マジョリティか知らないが、ピン芸人であらせられる我々を夢がないなど軽薄ないじりをしているがいい。そんなことをしている間は、我々の足元にも及ばないだろう。孤独こそが最大の自由であり己の生命の価値なのだ。




※この文章は、岡本太郎の作品に向き合うマインドをZA的に咀嚼し、ZAが 自分自身ネタに向き合う士気を上げるためだけに書いた文章です。コンビ芸人の方々を蔑む意図はほんの少ししかありません。

 
 
 

1件のコメント


のりこ
のりこ
10月15日

ゆけゆけピン芸人!

とべとべピン芸人!

ZA様ふぁいてぃん(ง •̀_•́)ง

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